1vs100

ゲーム開発において1対100のリソース差のある状況下で如何に立ち回るか。

個人的な思考実験ではあるのだけれど、自分の活動指針にも影響しているところはあるので公開しておけば参考になる人もいるかなということで残しておきます。

特に結論があるわけじゃないのと、1とか100とかの数字はわかりやすいからそうしているだけで数字そのものにあんまり意味は無いです。

生産量と物量

用語の定義

  • 「生産量」とは開発できるコード、リソース(画像,音声,映像,テキスト)、投入できる作業時間(人月)などのその総量。
  • 「物量」とはプレイヤーが認識できるリソース量。

一見同質に見えるが、100種類の音声があるときにいずれかをランダムで鳴らすのと100種類から選べる状況ではプレイヤーの体感できる物量は別になる。

あるいは「自動生成」を用いた場合は通常時の生産量と比較してプレイヤーが体感できる「物量」は大きくなる。

生産量と物量は必ずしも一致しない。生産量に対して物量がどれだけの比率になるかが制作上重要となる。

属人的領域

人による差の大きい部分・特定の職域、技能がなければ行えない作業を「属人的領域」とする。

1の側を考えると、属人的領域が大きく見えるだけで1の側が有利である保証はない。

生産量の大きい100の側においても、属人的領域は存在する。

例えば生産力を上げるために性能や性質を規定するデザイン・ガイドラインを作成する作業は属人的である。

また、生産する作業においても基本的なツールの所作がわかっていることなどは必須である。

ある時点で特殊技能がなければ成立しない作業は間違いなく存在するが、かかる時間と程度の差はあれど最終的にはコモディティ化する。(あるいは特殊技能そのものがオミットされる)

属人的領域と生産量

1は「生産量が上げにくい属人的領域」で有利であるとすることができる。

生産量が上げにくくなる条件の一つとして「明文化することが難しい」が考えられる。(ゲーム開発においては「調整」と呼ばれる部分がそれに当たるだろうか)

これは難しいだけであって、基本的には正しい用語や用法などの確立や明文化によって生産量は上げることは可能。

ただしそれが実行されるかどうかは生産量上げたことによるリターンに大きく左右される。

「生産量が上げにくい属人的領域」とは「個性」であると考えることができる。