BREAKS LPの「スコアと楽曲のクオリティ(?)に相関が無い」実装に至る思考

とりあえず、下のトゥギャッターまとめを読んでからお進みください。

BREAKS LP における「非」音ゲー的な音周り実装話 - Togetterまとめ

最初はまた連続ツイートしてトゥギャッターにまとめようかと思ったんですが、あまりにも長くなったので、とりあえずブログに貼っておきます。

つぶやく前提で140文字程度で区切るように書いたのでちょっと読みにくいかもしれませんがご容赦ください

BREAKS LPの「スコアと楽曲のクオリティ(?)に相関が無い」実装に至る思考

えーと、いつだったか伊集院光 深夜の馬鹿力 内で「ビートマニアが旨い人って(将来職業的に)何になるんだろう?」みたいな話があって、これは別にビーマニだけじゃなくてゲームとか遊び全般にあり得るサジェスチョンだよなあとひっかかっていたのが1点

もう1点はゲームの社会性・公共性というのはどうやったら向上するのだろうなあというのを考えていて、新しい文化(メディア)が受け入れられるのに必要なのは「メディアの独自性」と「旧メディアを知る層への訴求」という仮説を立ててみたことがあって。

「メディアの独自性」と「旧メディアを知る層への訴求」は映画を例に取ると、それまで映像というのはありえなかったものなので間違いなく独自性がある。(トーキー以降)「音楽」や「音声」を取り込むことに成功したので、旧メディアを知る層への訴求というのが可能になってたんじゃないかっていう。(ココらへんの歴史とか分析は専門じゃないから適当)

ゲームにおける「メディアの独自性」と「旧メディアを知る層への訴求」は(当時)どう分析していたのかというと、独自性については双方向性....ではなくてプレイヤーを内包した映像及び音声出力システムであり、プレイ・及びプレイヤーに寄って出力が変化する点が独自性であろう と。

「旧メディアを知る層への訴求」は殆ど出来てないんじゃないか? という分析をしていました。 確かこれは2008-2009年辺りかな。

補足:所謂ムービーやイベントシーンはそもそもゲームの(この話の前提となる)独自性を放棄してるので、結局「ゲーム」を広げるのには貢献していないということにしています。

あ、なので分かる人はわかるかもしれませんが時系列的にSOWN2011でプレゼンしたTaplibもこの思想の影響下にあります。

では、「旧メディアを知る層への訴求」をどう達成できるのかと考えていて、ここで先ほど上げた独自性、「プレイヤーを内包した映像及び音声出力システム」というところを利用して、旧メディア=非ゲーム的な映像及び音声コンテンツを出力するシステム(ゲーム)として仕立てあげられれば、訴求可能なのではないかと(コレも仮定)。

ただ、(少なくとも当時)ゲームの映像及び音声出力というのはどうしてもゲームのコンテキスト・文脈が合って初めて成立するものでしたから、(システム設計上)ゲームの一部で取り組むのも難しく、やるなら一から作らないとダメだろうなあという感触を得ていました。

今だとちょうどPS4のシェア機能がありますが、アレもゲームのコンテキストがないとなかなか難しい。(プレイルームが流行ったのとか、有名プレイヤーとかは別口な気がする)

当時だと確かウメハラ動画(レッツゴージャスティーン)はゲームを全く知らない人に通用するのか? というような感じで考えていました。(勿論何だかわかんねーけどすげーみたいなのはあると思います)

と、ここまでである程度の方向性が見えてきました、「ゲームを知らない人でも理解できる映像・音声コンテンツを出力するゲーム」を作ればいいというわけです。

補足: たまに「人がプレイするのを見てると楽しい」ゲームというのがありますが、そういう方向性という感じです。(より具体的には純度の高い創作物まで持って行こうという話ですが)

そしてTaplibとBREAKS LPは音声コンテンツの部分のみへのアプローチになっています。この点は映像と音声両方を同時に満たすのは難しかろうというところの取捨選択と既存の音ゲーへの不満がベースになっています。

元々音ゲーのシステムは「旧メディアを知る層への訴求」にかなり有用ではないかと考えていました。

ですが、所謂擬似演奏的な音ゲービーマニを筆頭に「音楽から音を欠落させてユーザーに答え合わせさせるゲーム」であり、習熟するほど音声出力が同一になる = プレイ・及びプレイヤーに寄って出力が変化する点を放棄している という欠点がありました。

えーと、ゲームのコンテキストがない人からすると「極めると一緒の曲になっちゃうってんなら最初っからCDなり配信で完成曲聞けばいいじゃん、ゲームじゃなくていいじゃん」的な身も蓋もない批判が可能だよなーという。

これは「スコアと楽曲のクオリティ(?)に相関を無くす」という実装にすれば解決できるよなあという、でも先ほど(トゥギャッターにまとめたやつに)書いたようにコレはコレで問題はあるのですが...

と、ここで一番最初の「ビートマニアが旨い人って何になるんだろう?」というところに話を戻します。

コレはつまるところ、そのゲームでの操作があくまでもそのゲームを成立させるためだけに利用されていることが問題であろうと仮説を立てました。

だからといって、プレイヤーにゲームを成立させるため以外の操作や配慮を求めるのはおかしいと思っていたので、ゲームシステム側で補正なりフィルターなりしてコンテンツに反映すればいいんじゃねーの? という結論に至りました。

なので、Taplibは「タップしてパズルを解いていくだけ」、BREAKS LPは「ボールを操ってブロックを破壊するだけ」をプレイヤーに要求して、システム側でうまいこと処理して音声コンテンツ出力に活かす形になっています。

そしてこの形を取ったゲームシステムをまとめると ゲームシステム駆動型の楽曲演奏・リミックス機構 となり、プレイヤーはシステムを駆動させるためのギアであり歯車でありパフォーマーでありスコア及びゲームデザインはプレイヤーを動作させるためのモチベーションに過ぎないということになります。

えーと、つまり演奏しようとして演奏したらそら普通の演奏で、演奏しようとしてない入力を変換して演奏に使ったら超すごくない? っていうことですね。その入力が今回はゲーム操作(ゲームをクリアしようとするモチベーション)であるという。

ゲーム自体が超面白かったらユーザーはプレイし続けるのでコンテンツが超大量生産されるというディストピア的なアレという感じがしないでもないですけど。

BREAKS LPに音声ファイル出力が付いているのはその出力をちゃんとゲームを知らない人にも渡せるように変換・出力しようという意図ですね。 出力したファイルはただ音楽としての評価を受ければいい。

そして音楽を入り口にゲームに興味を持ってもらったり、社会性・公共性が向上して文化として受け入れられやすくなったりという感じになればいいなあという。

当然、ハイスコアでもクソみたいな曲だぜー! っていうのができる事自体は否定出来ないんですが、ここでも「スコアと楽曲のクオリティに相関がない」ことがミソで。プレイヤーはクリアすること・ハイスコアを求める以外に(全く別の軸として)いい感じの音ができるといいなっていうプレイモチベーションを持つこともあるかなーって。

えーと、なので例えばBREAKS LPのシステムを応用してゲームシステムを取っ払ってそこそこ使えるリミックスシステムみたいな感じにしちゃうとこの思想からずれちゃうんですね。困ったもんだ。

補足: BREAKS LPの詳細な実装については別に話したほうがいいと思うので割愛。でもとりあえずリズムは崩さないように(良し悪しは別にして)楽曲としてはどうやっても成立する形にしてます。ちなみにKinectBeatWheelを参考にしてます。

あ、そうそう、Taplibはゲームシステムに演奏システムを付加する形で開発が進みましたが、BREAKS LPはその逆、演奏システムに対してゲームシステムを付加する形で開発が進みました。次は両方同時に作るとかできるといいですね。

できるだけ細かく書いたつもりですが、多分他の人が見ると飛躍が結構あるので、そこはまあ突っ込んで頂ければ。